チリが積もると山になるのか?

ずっと違和感のあった言葉があります。


「チリも積もれば山となる」です。


意味としては、少しでも日々やり続けることで、

いつかは大きな山のような成果になるんだよ、

といったところでしょうか。



でも・・・

チリって積もると山になるのかな?



正直、かなりいいところまで積もっても

基本の構造は工事現場の土砂とかわらないでしょうから、

ふけばとぶよなチリの山なんじゃないのか。

平地にそんなに積もったら、

崩れやすくて危険ですし。



じっさいに山ができるときは、

かなり激しい地殻変動によって、地面が隆起して

火山ができるようなイメージもあります。



詳しくは知りませんが、

恐竜が絶滅した原因も、

「D層浮上説」という、地球のD層というマントルが活性化し、

火山ができたり噴火したりで大変だったからだよ、

といった説も有力らしいです。

(ニュアンスですみません)



つまり、山というのは、

内因(地殻の隆起など)でできるのであって、

外因(チリ)は関係ないんじゃないだろうか。



と、ここまで書いて気づきました。



山は形だけじゃない、と。



その上にある多様な自然や、霧や雪がなかったら味気ない。

空の青をうつす光が注いでいなかったらつまらない。

植物も天候も光も、すべては外因(チリ)ですから、

山がほんとうの山になるにはチリも必要なんです。



以上のことをふまえて、

「チリは積もれば山となる」をナナロクなりに再解釈します。



 心を隆起させて山となれ。

 日々の努力でその山を飾れ。



つまり、よしやるぞ!っと、

心が奮い立つような理想をもってはじめることが大事で、

その理想を日々の努力で現実のものとして、

人が集まり仰ぎ見るように飾りなよと。


うん、これでいいや。

ナナロクはこれでいきます!



と、ここまで書いて気づきました。(←2回目)


自分の発想の源泉にあった言葉です。



吉川英冶先生の「宮本武蔵」のなかの次の一節です。



「あれになろう、これに成ろうと焦心るより、

富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。

世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、

自然と自分の値打ちは世の人がきめてくれる」




やはり、文豪ってすごいです。

小説ってすごい、言葉ってすごいな。

自分で考えているようで、

ずっと昔に出合ったこの言葉に、

自分が考えさせられていたんですもの。




ナナロク社もがんばって、

どんどんステキな言葉を、物語を、

本にしていきたいと思います。




長い話につき合わせてしまって、

ごめんね、ガムテープさん!





(写真は、一仕事終えて

前髪を切りそろえられたガムテープさん)





人間の友達も、つくんなきゃな……