【すべての人に】小川康弘のクリスマスストーリー

「クリスマス・ハイ」



 クリスマスが近づくと、いつも思い出す人がいる。 



 今年もこの季節がやってきた。うちの店でも先月からクリスマスケーキの予約を始め、ちらほら注文も入っている。店内のBGMもクリスマスソングになり、商品もクリスマス関連の物やクリスマス仕様に施された品々が目立つようになった。いよいよ明日から二日間の決戦が始まる。寒空の下、またあの衣装を着るのだろう。ああ嫌だ。老若男女、あれを着させられる。特にパートのおばさん連中の姿は痛々しくてきつい。
彼女もいないし友達からの誘いも少ない僕は今年も例年どおり24日25日と両日、朝から晩までバイトを入れてある。イブイブの今日も12時間働いた。あの衣装を着るのは今年でかれこれもう4回目となる。
 労働を終えてバックヤードへ戻ると、休憩室から何やら怒号めいた声が聞こえてきた。
「俺、こんなの着れません!」
「そんなこと言われたって困るよ、相沢くん」
 どうやら店長と相沢さんが揉めているようだ。相沢さんは僕の10個上で今年34歳の独身フリーター。彼女がいる気配はない。高校時代からこのスーパーで働いていて、そのままずっとバイトを続けている勤務歴18年の大ベテランだった。こうならないように気をつけようと思わせてくれる先輩だ。
「嫌ですよ、サンタの格好なんて!」
「去年まで着てくれてたじゃないか」
「もう嫌なんですよ、20年近くも毎年毎年着せられて」
「2日間だけだし我慢してくれよう」
 店長の声が弱々しい。困っているようだ。うちのスーパーは休憩室とロッカーを兼ねているので入らざるを得ない。なにせもう閉店して後処理業務も終わり、あとは帰るだけだ。時間も23時近くになり、早く帰りたい。
「失礼しまーす」
 怖る怖る入ると店長と相沢さん以外に、この時間帯のシフトに入っているバイトとパートの他、夕方あがりのパートもいた。明日から始まるクリスマス商戦に向けて、飾りやPOP作りなどを頑張ってくれていたのだ。だが、いたたまれない空気にみんな下を向いている。
「あの、どうしたんですか?」
 俺はそばにいたパートのおばちゃんの一人に訊ねた。
「相沢くんがね、ちょっと……」
 見ると相沢さんが店長を睨んでいる。その手には例の赤い衣装が握り潰される形で握られていた。
「こんな格好して恥ずかしくないんですか?」
「うーん、僕は何とも思わない。仕事だし。他の店もクリスマスはこれ着てるし別にいいだろう。それに、こういうの着なきゃ逆におかしいよ。それぐらい当たり前になってきてるんだから」
「30過ぎにもなってこんなおどけた格好なんてできないですよ。俺、性格的にもそういうタイプじゃないんすよ」
「あのさ、別によくない?」
 店長もキレ始めてきた。
「だったら時給あげてください! 時給900円じゃやってらんないですよ!」
 相沢さんでも900円なのか。いま知った。悲しい。18年も勤めてるのに。僕と同じだなんて。なんでこの店を辞めないんだ? けど、その気持ちは少しわかる気がする。他で働くのが怖いんだ。これまでの不満もかなりあったのだろう、一気に吐き出しているかのようだった。
「店側からの圧力によって生き恥をさらすんですから、時給をもっとあげてもらわないと割に合わないですよ」
生き恥って、君……」
 たしかにこの二日間だけでも時給が上がるなり手当が出るなりするとありがたい。
「じゃあいいや。嫌ならいいよ。相沢くんは着なくていいよ」
「いや、俺が言っているのはそういう次元のことじゃないんです。世の中の流れに流されて着るのはどうなのかって言いたいんです」
「どういうこと?」
 僕もそう思った。
「俺、前から思ってたんですけど、今年はさすがに言わせてもらいます。そもそもサンタはプレゼントをあげる人ですよね。だから、サンタの格好をしてケーキを無償であげるのであれば納得はいきます。でも、ケーキと引き換えにしっかりとお金をもらうのはいかがなものか。そう思うんです」
 ああ、確かにそうだな。でもちょっと考え過ぎだよな。相沢さんはそんなことを何年も前から胸に抱えて恥ずかしい格好してクリスマスに働いていたのか。
「うちの店はお母さんに連れられて小さい子供も来ますよね。サンタを信じている年頃も多いです。親御さんだって、『いい子にしてたらクリスマスプレゼントもらえるよ』って言っている家庭も多いはずです。それなのに、親がお金をサンタに渡してケーキを受け取る、商品を受け取る、そんな光景を見せてしまうのはどうなんですか? もしかしたらサンタの格好をしている俺たちをサンタクロースだと思ってしまうかもしれない。世の中にはたくさんのサンタクロースがいて、そのほとんどが働いていて、プレゼントをあげるでもなくきっちりお金を取る。そういうもんだと思われ兼ねない。これってどうなんですか?」
 言っていることは合ってる気もするけど何しろもう店長が気の毒だった。先の見えない屁理屈に疲れ、うつむいてしまっている。それに引き換え、相沢さんは元気だった。
「ただであげるなら俺サンタの格好しますよ。ケーキや鶏肉、無償であげましょうよ。それならサンタの格好でも構いません」
「そうもいかないよ……」
「だいたい、本当だったらクリスマスはキリストの格好をするべきじゃないですか」
「え?」
 店長の、このたった一言の「え?」はみんなの気持ちを代弁していた。この場にいる相沢さん以外の人間の総意だった。
「クリスマスはキリストが関係しているんですよね? だったらキリストの格好をするべきなんですよ」
「でもそれだとお祭り感がないだろ」
「自分たちの都合いいようにサンタの格好するべきじゃないって僕は言ってるんです」
 いつになったら僕らは帰れるんだろうか。誰かこの争いに終止符を打ってくれる人はいないのか。相沢さんはひとり、血気盛んだった。
「あれ? 待てよ? 店長、もしかしたらキリストの格好のほうが売上につながるかもしれませんよ」
 店長は「そんなわけないだろ」という顔をした。みんなの気持ちを代弁した表情だった。
「だってですね、サンタの格好はありきたりですよ。毎年毎年、どこもかしこもサンタだらけだから見飽きています。うんざりしている人もいるかもしれない。サンタの格好しているくせに金取るんじゃねえ、って思っている人もいるかもしれない」
 確かになあ。でもなあ、キリストはちょっとなあ。
「キリストの格好のほうが物珍しいし、この時期にやることにおいても理にかなっています。それに、買ってあげようって思われるかもしれません」
 思うかなあ。まあ、思う人もいるかもしれないけどなあ。店長、相沢さんはああ言ってますけど、さすがにそれは厳しいですよね?
「じゃあもうそうしようか……」
 ええ!? 店長が投げやりになってしまった。気持ちはわかるけども。サンタの格好も嫌だけど、キリストの格好はもっと嫌だ。
「もう疲れちゃった。それに相沢くんの言うとおり、もしかしたらキリストの格好のほうが売上が伸びるかもしれない」
 店長、あなた、キリストがどんな格好かわかって言っているんですか!?
「皆さん、どう思います?」
 店長がみんなにお伺いを立ててきた。すると案の定、現場は紛糾した。
 結果的に言うとパートのおばちゃん陣は全員反対だった。理由は「うちは仏教だから」「風邪引いちゃう」「露出度が高い」など、どれもごもっともなものばかりだった。相沢さんは総スカン食らったことが腹立たしかったらしく、おばちゃん達に食ってかかった。
「あんたら、そこまでしてサンタの格好がしたいのか!」
「別にしたくなんかないわよ!」
「だったらなぜするんだ! いい年してサンタの格好なんかして恥ずかしくないんですか?」
「恥ずかしいわよ!」
 いい年して、の部分がおばちゃん達の逆鱗に触れ、リーダー格のおばちゃんがみんなを代表してキレた。
「相沢くん、ちょっといい加減にしてよ。そりゃあね、こんな年になってサンタの格好させられて、本音を言えばやりたくないわよ」
 ふと店長を見たら、初めて聞かされる従業員たちの正直な声に呆然となっていた。
「だったらキリストの格好をすればいい!」
「そっちのほうが嫌よ! こんなおばさんがサンタの格好して、男性のお客さんからもあまり良く思われてないことくらいわかってるわよ。でもね、仕事でしょ? ただのイベントでしょ? 店長の言われた通りにやりなさいよ」
「僕はお店の利益のことも考えて言ってるんです」
「だったらもっといいアイデア出しなさいよ! なんなの、キリストの格好って!」
 すると相沢さんは僕に話を振ってきた。
「木村くんはどう思う?」
 困った。この時間帯まで働いている男は店長と僕だけだった。店長と相沢さんは衝突したてだし、僕は反キリストの格好派にまぎれそびれた。相沢さんとは普段から比較的話をするほうだし、シフトもよく一緒になるし、相沢さんを否定しにくい。
「まあ、そうですね。相沢さんの言っていることも一理ある部分もあるかなとは思うんですが、うーん、どうっすかねえ?」
「そうか。わかった」
 なんとかうまくやり過ごして安心していると、リーダー格のおばちゃんがエプロンを脱ぎながら吐き捨てるように言った。
「とにかく私たちは明日と明後日は例年どおり、サンタの格好でやるからね! キリストの格好なんてできるわけないじゃない。売上だって伸びないわよ。むしろ下がるわよ。余計なことしようとするんじゃないわよ!」
 相沢さんは相当カチンときたようで、店長、パートのおばちゃん達を見回して叫んだ。
「よーし、じゃあ勝負しましょうよ! 明日と明後日、店の外でケーキを販売しますよね? そこで、サンタの格好して売るのとキリストの格好して売るのとでどっちが高い売上を叩き出せるか勝負だ!」
 全員絶句した。店長、この人クビにしてください。今がそのチャンスです。念じるように見つめると、店長が深く息を吐いて答えを出した。
「勝手にしてください」
 ええ!? 将が倒れ、おばちゃん達が再び騒ぎ出す。
「ちょっと店長、何言ってるの!? 相沢くんを止めてください」
「僕にはもう無理ですよ。それに、売上が増えたら儲けもんです」
「店長、正気なの!? 私、嫌です!」
 店長の心が折れたことに便乗し、相沢さんが目を爛々と輝かせて言った。
「店長、言いましたね! そしたら、もしキリストチームの売上がサンタチームを上回ったら……俺を正社員にしてください!」
 お、重い。僕は思わずうなだれた。この人、深刻過ぎる。まあでも僕は店長よりはマシだ。僕には何の責任もない。高みの見物をしていればいいんだから。
 そんなことを考えていたら、僕の肩を誰かが力強く組んできた。相沢さんだった。
「頑張ろう、木村くん!」
「え?」
「サンタチームをぎゃふんと言わせてやろうな!」
「え?」
 事態がよく飲み込めない。僕はきょとんとも呆然とも言えないような、しかしその両方であるとも言えるような顔を浮かべていたに違いない。
「あの時、木村くんがただ一人、俺の味方をしてくれた」
「え? いや、味方、したかな? しましたっけ?」
 ちょっとびびってしまい、相沢さんに聞こえるか聞こえないかのボリュームになった。けど、消え入るような声は否定するにはか細過ぎた。
「俺の言ったことに賛同してくれたのは木村くんだけだった」
 僕は、相沢さんの言っていることも一理ある部分もあるかもと、肯定に見せかけて否定することで共感はあの程度にとどめておいたのだが、わずかな保身が仇となったようだ。
 思わず周りを見た。助けてくれ! 僕は無言のSOSを発した。みんな帰り仕度を始めている。誰もこっちを気にしていない。むしろ、もう金輪際関わりたくないという空気がビンビンだった。
「木村くんがいてくれると心強いよ。よろしく」
 その目は勝利への決意に漲っていた。相沢さんが正社員になれるかどうかの瀬戸際だ。男の一世一代の勝負なのだ。
「わ……っかりました……」
 そう答えざるを得なかった。今年のクリスマス、とんでもないことになってしまった。
 明日への不安を抱えながら店を後にした相沢さんと僕はファミレスに行き、作戦会議をすることにした。
 人もまばらな店内、僕は所在なさげにホットドリンクをすすった。相沢さんは携帯電話で何やら検索をしている。
「相沢さん、今更ですけど不謹慎じゃないですかね。罰当たらないか不安になってきました」
「いや、俺たちはあるべき姿に立ち返ろうとしているんだ。不謹慎どころか、むしろリスペクトだよ」
 相沢さんはちっともブレない。真剣な眼差しは再び携帯電話の画面に向けられた。
「うわー、これはマズイな」
「どうしたんですか?」
「ちょっと予想外だったな。これ見てみてよ」
 相沢さんが画面を見せてきた。キリストの正確な格好を調べるため画像検索をしたらしい。
「え?」
 僕は絶句した。目に飛び込んできたキリストの画像は、腰に布を巻いているだけだった。
「これは想像以上に薄着だな」
「この季節にこれはヤバいっすよ、相沢さん」
「風邪ひいちゃうな」
 ああ、なんてものに巻き込まれてしまったんだ。キリストのあまりの薄着ぶりに相沢さんもさすがにビビっていた。けど、もう引き返せないところまで来ている。僕らはできるだけ厚着しているキリストの写真を探し、それに則ることにした。見つかったのは、なんていうか、長袖のネグリジェのような格好だ。それでもかなりの、この時期にはあり得ない薄着だ。相沢さんは実家暮らしで、幸い母親がネグリジェらしい。それを拝借して、多少汚してボロボロにして着用することになった。
「確かお袋、袖がひじ下くらいまでの長さのネグリジェだったんだよね」
「あ、ぽいですね。でもキリストに見えますかね?」
「うーん、そうだなあ。結構着古してるし、首のとこから肩を片方出せばそれっぽくなるんじゃないかな」
「ああ、なるほど」
「よし、それでいこう。家にあるものでやるとなるとこれしかない」
「そうっすね」
 僕の分は相沢さんが持ってきてくれるそうだ。
「じゃあ木村くん、明日に備えよう」
「……はい……」
 会計を済ませて外へ出ると、ダウンジャケットを着ていても寒かった。果たして、無事に元気な体で終えることができるのだろうか?
 当日、天気は曇り。昨日よりも気温は低かった。出勤すると相沢さんはすでに来ていて、着替えも済んでいた。パートのおばちゃんたちも何人かいて、ロッカールーム兼休憩室には何とも言えない空気が漂っている。
「どう、木村くん。キリストに見える?」
 うわ、結構見えるもんだな。
「相沢さん、これは想像以上にキリストですよ」
 そう言うと相沢さんはにこっと笑った。
 いつもなら店のエプロンを付けるだけなので、男女ともにこの場所で着替えても何の支障もないのだが、今回ばかりはまずい。僕はトイレへ行き、相沢さんのお母さんのネグリジェに着替えた。キリストのコスプレでもあり、女装でもあった。なんでこんなことになっちゃったんだろう。
 24日と25日の二日間の売上の合計で勝負する。時間は9時開店から23時の閉店まで。僕と相沢さんは店内業務を免除してもらった。なにせこっちは二人しかいない。サンタチームはいっぱいいるので、1時間ごとに交代で行なう。いいなあ。防寒ジャンパーを着てそのうえにサンタの衣装をまとってあったかそうだ。いいなあ。
 いつも開店前に行なう朝礼は、10人ほどのサンタと2人のキリストという状況だった。なんなんだ、この店。
「それじゃ、今日も一日よろしくお願いします」
 店長の心はあれから折れたままで、朝礼はいつになく生気のない挨拶で締められた。
「行くぞ、木村くん」
「はい」
 暖房が効き始めた店内でもちょっと寒い。外に出たらどうなってしまうのか。開店時間になり、僕らは外へ向かった。自動ドアが開き、外の冷気が入ってきた。瞬時に鳥肌が立つ。
「さっみい……」
 入り口横に設置されたケーキ販売コーナーに僕らはスタンばった。反対側の入り口にはサンタチームが暖かそうな格好で佇んでいる。
「見ろ、木村くん。おばさん連中のあの惨めな姿を。痛々しいったらありゃしないね。あんなサンタクロース嫌だよ」
 だが、開店10分ほどで早速一個売り上げていた。寒さ対策もバッチリで、僕はサンタチームが羨ましかった。対するキリストチームは想像以上の苦戦を強いられた。来客は皆、怪訝な視線を浴びせていく。とりわけ、物心が付き始めた年頃の子供たちの反応の悪さは半端なかった。ほとんどが泣き出してしまい、お母さん方は逃げるように店内に入っていった。
「くっそー」
 悔しそうにつぶやく相沢さんの唇は真っ青で歯をガチガチ鳴らしている。僕も寒さで体に力が入って肩は釣り上あがり、ブルブルと震えが止まらない。誰がこんな人たちから好き好んでクリスマスケーキを買おうか。それでも頑張って声をかけるのだが、僕らの目が怖いらしい。
「木村くん、目!」
 そういう相沢さんの目もブッ飛んでいてヤバかった。極限の中に生きるとこうなるのか。僕らはとてもじゃないけど接客に向いていない状態だった。昼を過ぎても一個も売れず、サンタチームとの差がどんどん開いていった。が、夕方から事態が変わる。中高生が店に来始めたのだ。皆、おもしろがってキリストチームの周りにやってきた。おそらく僕らは笑われているのだろうが、とてもまばゆい笑顔を向けられている。
「え? キリスト?」
「メリークリスマス! ケーキはいかがですか?」
 少年少女たちは僕らを怖がらず、写メを撮ったり、友達に連絡したり、人が人を呼んで多くの人だかりができた。ただ全然買わない。見ていくだけだった。
 中には「バカじゃねえの」という心ない声も聞こえたが、僕もバカだと思っていたので不思議と腹が立たない。けど、30を過ぎた男には十分届いてしまっていた。
「バカにしやがって」
「落ち着いてください相沢さん」
「だってこいつらからかうだけで全然買わないじゃねえか」
「でも凄いじゃないですか、こんなに人が集まってるんですよ。店の宣伝効果につながっていますよ。店長もそこを評価してくれますって」
「そうだな。サンキュー、木村くん。危うく腐るとこだった」
 極限状態のせいか、僕はなんだかハイになっていた。相沢さんもハイになっていた。
 日が完全に落ち、夜になると寒さがさらに増した。中高生たちはとっくに帰り、人だかりがなくなってしまった。
「ヤバイな。まだ3個しか売れてないよ」
 致命的な数だった。しかも、中高生が来る前に売れたものだ。本当なんだったのだ、あいつら。冷やかすだけ冷やかして帰っていきやがった。
「相沢くん、サンタチームに何個売れたか聞いてきてくれるか?」
「わかりました」
 僕は敵陣に乗り込んだ。パートのおばちゃんたちがサンタの衣装を着ているくせに寒がっている。足元には電気ストーブがあるし、背中にはホッカイロも貼っているようだった。この人たちに寒さに震える資格はない。
 などと思いつつも、調子のいい顔をのぞかせてしまう。
「お疲れ様です」
「大変ねえ、木村くんも」
「めちゃめちゃ寒いっすよー」
「カイロあげようか?」
「いえ、相沢さんに怒られちゃうんで」
 相沢さんは説得力をなくすからと、キリストチームはカイロ、電気ストーブなどぬくもりをくれるものは徹底排除していた。
「木村くん、気の毒ねえ」
「はは。あ、何個売れました?」
「えーとね」
 おばちゃんが正の字で書かれた売上数を数え始めた。
「えーと、41個。大きいのとか小さいのを全部合わせると41個ね」
「41個!? そんなに売れたんですか!?」
「うん。金額も出そうか?」
「……大丈夫です」
 個数だけで十分叩きのめされた。相沢さんが聞いたら卒倒してしまうかもしれない。
「そっちは何個?」
「3個です……」
「そう。頑張ってね」
「はい」
 僕は足早に敵陣をあとにした。
「どうだった?」
 僕は口ごもった。事実を伝えたら相沢さんは体力もかなり消耗しているし本当に倒れてしまうかもしれない。
「なに黙ってるの? 教えてよ」
「……41個です」
 相沢さんは答えを聞くや否や天を仰いだ。キリストチームの敗戦が濃厚になった。現在、午後七時。閉店まであと四時間。可能性を捨ててはいけない残り時間ではある。けど、体力は限界を迎えている。体力があったとしてもユニフォーム的に厳しい戦いだ。僕と相沢さんから口数が減った。
 だが、再び奇跡が起こる。夜になり、若者や会社帰りのサラリーマン、OLたちが来たのだ。彼らは奇異なものを楽しむ余裕と遊び心でお金を落とす経済力があった。ひとつ、ふたつ、と売れ始めたのだ。
「来た、来たぞ、木村くん!」
「来ましたね、相沢さん!」
「こっちにも風が吹いてきたぞ」
 うまくいきだすと楽しくなってきた。当初はとんでもないものに巻き込まれた感がとてつもなかったが、悔しいかな、働く喜びに目覚めてきた。この店でバイトを始めて四年。今まで自主的に働いたことなんかなかったけど、売上を出すために体を張って頑張ることがこんなにも充実感を与えてくれるなんで初めて知った。
 信じられないことに、キリストの格好をした僕らからケーキが飛ぶように売れていった。
「メリークリスマス!」
 そう言うと「メリークリスマス!」と返ってくる。僕らは時間の限り声を出し、ケーキをさばいた。あれだけ長く感じて仕方がなかった時間があっという間に過ぎていき、閉店時間となった。
 初日、気になる戦績は、サンタチーム67個、キリストチーム31個。ダブルスコアで負けてしまった。やはり近寄りがたい雰囲気が響いた。同じ物を売っているのに、こんなにも差が出てしまうのか。
「負けちゃいましたね、相沢さん」
「ああ。でもかなり健闘したほうだと思う」
「僕もそう思います」
「とにかく今日は風呂に入ってしっかり温まるんだ。明日もほぼ丸一日凍えるから、その分温まっておくんだ」
「はい!」
 体は冷え切っていだけど心は燃えていた。温め溜めなどできないことは重々承知だが、わらにもすがる思いで湯船で温まり、英気を養い明日に備えた。働く喜びを知ってしまった僕は、今まで仕事の反省なんてしたことなかったのに今日一日を自分なりに振り返り、改善点などを探った。冷静に考え、できるだけ客観視してみたが、どう考えても敗因は薄着過ぎる格好だった。寒さにやられ、体が震えて目が血走り、親近感のある接客は不可能となる。あの格好をする以上、なす術はなかった。何か手立てはないか考えあぐねているうちに、深い眠りについてしまった。
 二日目。この日もまるで昨日を再現するかのような一日だった。夕方まで奇異な目で見られ、そこから中高生が来て散々からかわれ、盛り上がるわりには全く買っていかない。夜になって物珍しさから買ってくれる人が大勢来るが時すでに遅し。トリプルスコアで僕らは負けてしまった。相沢さんが自分の人生を賭けて起こした戦いは敗れてしまった。
「相沢さん……」
 僕は何かを言おうとしたが、何を言っていいかわからず、話しかけておいて黙ってしまった。相沢さんも何も言わなかった。
 終業後、相沢さんが皆に頭を下げた。
「このたびは本当に申し訳ありませんでした」
「まったく、バカなことして」
 おばちゃんの一人が罵るようにつぶやいた。相沢さんは噛み付かなかった。
「店長、本当にすみません」
 相沢さんはそう言うと、ネグリジェの中からしわくちゃになった封筒を取り出し、店長へ差し出した。
「え?」
 そこには、退職願と書かれている。
「相沢くん……」
 店長が驚いて目を丸くしている。みんなも目を丸くしている。相沢さんのことを、責任を感じるタマだと誰も思っていなかったし、まさかこんな覚悟でいただなんて微塵も気がつかなかった。僕は思わず相沢さんの肩をつかんで揺さぶった。
「嘘でしょ、相沢さん」
 相沢さんの肩はとても冷めたかった。
「店に迷惑かけちゃったし、あんなタンカ切って失敗しちゃって」
「相沢さん……」
 おととい、相沢さんがブッ飛んだことを言い出したときはクビになって欲しいと思ったのに、たった二日で真逆の気持ちを抱いている。不思議なものだ。
「相沢さん、辞める必要なくないですか? だってお店にたくさんの人を集めたし、宣伝効果は高かったですよ。ねえ、店長」
 店長はうんともすんとも言わず、周囲の顔色を伺い、全員から目をそらされると下を向いてしまった。
「木村くん、ありがとう。俺、社内の輪を乱しちゃったし、このままここで働くわけにはいかないよ」
「いや、でも」
「この店に勤めて18年、年も年だし、いつまでもバイトっていうのもね。俺も真剣に人生を考えないと。この店は居心地が良かった。でもこのままぬるま湯にいたらダメだからさ」
 相沢さんからは引き止めて欲しいというようなやましさは感じられない。本気で言っていることがわかった。もしかしたらこのまま辞めたほうが相沢さんのためなのかもしれない。引き止めちゃいけないのかもしれない。周りも、相沢さんにいなくなって欲しいんじゃなくて、相沢さんに羽ばたいていって欲しいのかもしれない。だから何も言わないのかもしれない。
「それじゃ、失礼します」
 相沢さんは皆に背を向け、歩き出した。
「相沢くん」
 店長に呼び止められ、相沢さんはゆっくりと振り返った。
「お疲れさん。18年間、ありがとう」
 一瞬の静寂が流れ、相沢さんの目からは涙が溢れた。次から次へと頬を伝っていく。相沢さんは顔をくしゃくしゃにして泣いた。店長は相沢さんに右手を差し出した。相沢さんは深々とお辞儀してその手を握った。肩を震わせている。なかなか顔を上げられないようだった。
 相沢さんの嗚咽が落ち着きを見せると、涙声で僕らに別れを告げた。
「本当に今までお世話になりました」
 従業員全員で相沢さんを見送った。社員通用口から相沢さんの後ろ姿が見えなくなるまで誰もそこから離れなかった。母親のネグリジェを着た34歳の背中は遠ざかれば遠ざかるほど大きく見え、やがて視界から消えた。







Merry Christmas.

小川康弘